第18章 なぜ人々は何も知らないのか
ためしに医学生や開業医、医学雑誌の編集者らに、フッ素化について何を知っているか質問してみるとよい。きっと彼らからは、「フッ素は虫歯を予防し骨を強くするが、過剰になれば斑状歯や骨の硬化を引き起こす」という程度の答えしか返ってこまい。
おそらくこんな所が、医学関係者がフッ素問題に対して有している知識の全てだろう。というのも、フッ素問題などが、医科大学や医学雑誌で議論される機会は殆どといってよいくらいないからである。
元アメリカ医師会会長であったエルマー・ヘス博士は、1955年8月9日づけの私への手紙のなかで、この間の事情を次のように述べている。
「我々アメリカ医師会の会員の大多数は、この問題に関する根拠は、アメリカ歯科医師会や公衆衛生局が提出した科学的事実に頼らざるをえないと感じているでしょうし、私自身も、これが安全か危険かという事については意見を表明する事ができません。」
アメリカ医師会雑誌の編集者ですら、フッ素化の医学面については、会員である医師からの相談に困難を覚えているようであり、臨床医学には何の経験もない歯科医師の言説に依拠する場合が少なくない。例えば1961年6月に、D・J・ギャラガンとJ・Lバーニェル両博士は、フッ素に関連する皮膚疾患について相談を受けた(1)。
彼らは元来、フッ素化と気温との関係を研究していた人たちであり、アレルギーや皮膚疾患の臨床には何の素養もない人たちである。1955年に起こったオレゴン州でのマーチン氏対レイノルズ・メタルとの訴訟で、被告側(訳者注:レイノルズメタル)は、イギリスのドナルド・ハンター医師を〔特別弁護人として〕専門家の証言のために委嘱しなければならなかった。
当時のアメリカには、フッ素症を熟知した医師が1人もいなかったからである。後の1974年に、E・H・スミス二世歯科医師はアメリカ医師会雑誌に論説を執筆したが、そのなかで彼は、政治的に保健官僚に任命された元公衆衛生局衛生課長のルーサー・テリーの言葉を引用して彼の言説を権威づけるより仕方がなかった。それは次のようなものであった。「フッ素化は医学的に、どの年令の者にも全て安全であり、その利益は生涯にわたって永続する(2) 。」 フッ素化開始以来30年もの間、医師や歯科医師がこの害毒について殆ど知らないできたる理由は何か。重要な研究を意図的に除外することからくる知識の欠如と、フッ素化の推進者が、フッ素の障害性を巧みに隠蔽した事とが複合して、こんな事態を招いているのである。
フッ素化を否定するような発見を打ち消す
我々は第13章と14章で、公衆衛生局が、フッ素が腫瘍の発育を促進させるというテーラーの研究をどのように誹謗中傷し、また、どのようにして、ダウン症とフッ素との関連性に関するラパポートの研究が、公衆衛生局の官僚の陰口によって打ち消されたかを見てきた。テーラーやラパポートのその後の報告は、最初の結論 を敷衍したものだが、そのために今では殆ど言及されることがない。
もし、1950年代の中頃に、私のフッ素化飲料水による中毒の報告が正当に受け取られたなら、フッ素化は必ずや見直しの必要に迫られただろう。
ドイツの保健官僚であり、ヨーロッパにおけるフッ素化の最も熱烈な推進者であるハインリッヒ・ホルヌングの1955年の訪米は、賛成派が私の研究を誹謗する絶好の機会を与えた。彼は「研究旅行」と称するアメリカ国内の旅行の間に、デトロイトの私の診療所や自宅で、私のフッ素中毒症例を勉強するためと称して私にちがづき、私とともに相当な期間を過ごした。無念にも私は後で気付いたのであるが、彼は私の仕事をおとしめる、そのタネを探しに私の記録を調べたのである。それはちょうど� ��ディーンやアンダーボントが、テーラーの研究のアラ探しをするために彼を訪ねたのと同じである。
ドイツに帰った直後、ホルヌングはF・S・マッケイに手紙を書いたが、マッケイはそれを1956年12月のアメリカ歯科医師会雑誌に掲載すべく手配した。その直後からこの記事はニュースとなって広く流布した。
ホルヌングの手紙を読む者は、誰しもが、如何に私を貶めるためとはいえ、こんな噂を寄せ集めたような一方的な雑文をアメリカ歯科医師会が採用したことにびっくりするだろう。この手紙の癇高い調子は、冒頭の1行からして次のとおりである。
「1956年の1月2日号のニューリーダー誌上で、私はフッ素化に反対するジェームス・ローティの馬鹿げた記事を読まされた。」
ホルヌングの手� ��は、全文抑制のない偏見で充満している。以下、代表的な4例を選んでおく。
「フッ素化の疑問に関して言えば,ウォルドボットの理由は、常に感情的な偏見で汚れている.」
「ウォルドボット博士の患者に対する質問は、それに肯定的に答えらるのは皆無のようにできており、すべてが誘導質問により予めある示唆を作り出しているものである。慢性中毒の70例では、これがフッ素化で生じたと主張しているが、そんなものはありもしなかったものである。」
「アメリカ歯科医師会や公衆衛生行政当局が、『ウォルドボットは、フッ素化によって慢性中毒を起こしたという自己の考えを示す証拠は、何1つ提出していない』と言っているのは全く正しい。従って、歯科医師会や行政は、フッ素 化の計画を速やかに推進すべきである。」
「こんな非科学的な宣伝文句でフッ素化を拒否している都市の住民は、本当に気の毒というものだ。」(3) .
ホルヌングの手紙には「レッド・ヘァリング」(訳者注:red herring・・いきなり無関係のことを持ち出して論の主旨を脇にそらせる技術をいう)というレトリットが頻繁に顔を出す。例えば、彼は暗黙のうちに、「フッ素化は共産主義者の謀略だ」という説を否定する。そして、「我々はそんな議論をしているのではない」などと言いながら、いつの間にか私をその説に結び付け、私に対する攻撃を如何にも尤もらしく飾るのである。(参照:脚注18−1)
しかし、この手紙の最も邪悪な部分は、うわべを通信に見せかけて、フッ素中毒に関する私の「70症例」を誹謗中傷した部分であろう。いわばホルヌングの急所ともいうべきこの観察や要約や結論は、ただ単に虚偽でしかないとしかいいようのないものであるが、それが虚偽であることは、彼が私を訪� �た時に交わした会話からも明らかである。
彼は「ウォルドボットは、この症例を科学的に研究する必要性などは感じていなかった」と述べ、これらは「誘導質問」で充満したアンケートで作り上げられたのに過ぎない」と書いている。また、「これらの質問に対する回答者たち(大部分は熟年の女性)の答えの中に肯定的なものがもし1つでもあれば、これはフッ素化水による中毒の証拠として記録されたのだ」とも書いている。これらの熟年の女性(実際は、彼が言及した14人のうちの6人は男性である)について証言しようとながら、彼は、許可もなしに、私の患者の記録を、文脈を全部無視して勝手に引用し、 愚弄しているにすぎない。
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訳者による脚注18−1:フッ素化が共産主義者の陰謀だとする説は、早くからアメリカの一部で唱えられていたらしい。これには、ソ連のスターリンが強制収容所において囚人の精神を遅鈍化し、愚民化するためにそこの飲料水にフッ化ナトリウムを添加したという事実があるため、若干の根拠がないとはいえないが、このためにフッ素化の反対運動の早期のグループには、ジョン・バーチ協会員や3K団などのアメリカの極右政治勢力があった、というのも事実のようである。*3
推進側はこの奇禍を逆手にとった。「フッ素賛成派によれば、声高にフッ素反対を叫ぶ者は,殆どがこうした過激団体のメンバーであり、たとえ彼らが合法的に科学者としての資格証明を手にしていても、彼らは感情的、幻想的、非科学的、欺瞞的人物にすぎない」*1というバカバカしい宣伝が行われていた所以である.
フッ素論争は、末端にいたると、科学とはまるで縁もゆかりもない感情的な言葉がいたずらに白兵戦を演じているのは、この論争について学位論文を書き、その後も一部始終を観察しつづけているエドワード・グロス三世*2が指摘しているとおりであろう。しかし、時代は確実に進歩している。今ではフッ素化に賛成するアメリカの歯科ジャーナリストでさえ、次のように認 識している。「フッ素化反対運動には、右翼ばかりか左翼にも支持者がおり、特に環境保護に関心の強い団体によって支持されている。支持が広がるにつれて、自治体のフッ素化はその基盤を失うかもしれない」*1。フッ素化支持一色に塗りつぶされているアメリカの中央政府のなかでも,環境庁(EPA)の職員が だけがフッ素化による公害に強い危惧を抱き、警告を発している所以である。
参考文献:*1 村上 徹:プリニウスの迷信・績文堂・1989
*2 BRIAN MARTIN:The Scientific Knowlede In Controversy・State
University of New York Press, Albany・1991
*3 フッ素化の真の狙い:フッ素研究・第19号2頁−25 頁・1999
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ホルヌングはドイツへの帰途、「70症例の症状は不適切であり、そのアンケートには『誘導質問』が含まれていた」ということにしようと思いついたらしい。その後、彼は、私のアンケート表の質問事項をドイツ語に翻訳したが、それは私がスクリーニングとして稀には使うことがあったものの、初診の際には全く使わなかったものである。
再度繰り返しておく。彼は、私の表にはない「慢性皮膚発疹」だの「胃炎および肝臓のとくに夏期における萎縮」などという事項を捏造した。そして、塩素や塩素化(フッ素やフッ素化ではない)に関する彼のアンケートに対する回答を50項目も並べたてた。この回答を彼は公表しなかったが、 私の仕事が全部虚偽(「存在もしていなっかった」)であるという彼の中傷は、この捏造した彼のアンケートに基づいたものなのであり、そんなものは、多分、常軌を逸した人間でなければできるものではない。
ホルヌングは、私が彼に何回も繰り返して語ったことには、1度も言及していない。フッ素中毒症の症状は、全て、フッ素化水の使用を止めれば消失し、再開すればまた出現する(4)。これらの科学的事実は、これまでに公表した私の多数の論文には既に記述ずみであってここで再説する必要はあるまい。ホルヌングもこの事実は十分に承知していたはずであるが、彼はこれには1度も言及していないのだ。
もし、アメリカ歯科医師会が、ホルヌングのこの奇怪な手紙を公表する前に私と接触する労を惜しまな� �ったなら、歯科医師会がこんな事をした目的が、私の仕事を中傷するためだったという非難がこれからの同会の歴史に常に付いてまわるという災難を背負い込まずに済んだものをと思う。
これを知った直後、私の心中に湧き起こったのは、仮にも[ヒポクラテスの誓いとして]真実の追求を誓った科学者の仲間が、こんなバカげたやり口で私を誹謗することなどが一体あるのかという、一種の驚愕と落胆である。私がアメリカ歯科医師会に対して名誉棄損の訴訟を起こしたとき、歯科医師会は私の手紙を公表したが,そのなかで私は、慢性フッ素中毒や「予備的なオリエンテーションやスクリーニングのために使用した」(5) 質問表についてかなり詳しく記述した。また、フッ素によって起こるテタニー様痙攣(少年)の新しい症例(6) についても触れ、結論をこう述べた。「私の研究は、標準的な水中フッ素濃度や1日あたりのフッ素摂取量が、誰にも安全であるとは言えないということを証明している(5)。」
私の手紙の後につけたコメントで、この雑誌の編集者は、アメリカ歯科医師会は科学的事実によって混乱させられるのは望まないと述べ、次のように書いている。「ウォルドボット博士の手紙を公表したからといって、本誌は、フッ素化に好意的な科学的証拠が圧倒的に多いという意見を変更するものではない。」
歯科医師会は、私の手紙を雑誌に掲載しても、ホルヌングのあからさまな虚偽に対しては何の対抗手段もとらなかった。そればかりか、一般のメディアは医学界のニュースメディアと同様にこの作り話をいたる所で宣伝し(7)� �アメリカの主要な医学雑誌から私を閉め出した。込み入った事情があることを了解していないこれらの雑誌の編集者を、一体誰が非難できただろう。
1958年の11月4日に、私はノーベル賞受賞者ヒューゴー・セオレル博士のご好意で、ストックホルムのウェーデン医師会で私のフッ素中毒に関する症例を発表した時、ウェーデンにおけるフッ素化の指導的な提唱者であったインベ・エリクソンは、ホルヌングの手紙をたてに私を中傷しようとした(8)。1961年9月、雑誌「栄養学レヴィユー」の編集者は私の仕事について遠回しながら次のように述べた。「彼〔ウォルドボット〕が、誘導質問を含むアンケートからフッ素症の多数の兆候をつかんだということは、到る所で書かれてきた(9)。」1970年になっても、マックルーアはまだ次のよ うに述べているのである。「ホルヌングは、その時までは〔まさかウォルドボットがそんな事まではしないだろうと〕不明確なまま否定されていた印象を、とうとう不朽なものにしたのである(10)。」
ホルヌング事件は、なぜ医師や歯科医師が私のフッ素中毒の報告を無視するのかという理由の露骨な1例にすぎない。
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