脊髄損傷と痛み−−痛みに関する情報のネットワークを!−−
■ 脊髄損傷に伴う痛み 脊髄損傷者の多くは、麻痺のみならず、難治性異常疼痛にも苦しんでいる。脊髄損傷について、従来、麻痺に関しては多くのことが語られてきたが、痛みに関しては正面から取り上げられることは少なかった。痛みは麻痺に比べ目に見えないものであり、主観的なものであるためである。また医療の場で、痛みが脊髄損傷の重要な付随症状であることが十分認識されてこなかったためでもある(疼痛管理が脊髄損傷者のケア項目に適確に組み入れられることは稀であった)。
痛みを持つ脊髄損傷者は個々に訴えるすべしかなく、その受け皿は極めて少ない。麻痺と多少の異常感覚(鈍いしびれ等)はやがて受容できる場合もあるが、痛みを受容することは極めて難しい。厳しい激痛を抱えた場合、麻痺に直面した絶望から立ち直るための気持ちの切換えができないままに、暗い激痛の海の底にうずくまるようにして日々を過ごしている人も多いはずである。
脊髄損傷者の抱える痛みには様々なタイプがある。受傷した周辺が筋肉痛的に痛む場合、麻痺によって体位の自己調整ができなくなったため、健常者でもそうであれば当然発生するであろうような筋肉痛や関節痛が痙性麻痺によって増幅する場合、損傷した脊髄節の神経が支配する領域・周辺に異常疼痛がある場合、損傷した脊髄節の神経が支配する部位以下の、麻痺し感覚を失ったはずの部分から自発性の異常疼痛(しびれの極致、電撃痛、灼熱痛、押圧痛、乱切痛等とも表現される激痛)が発生する場合、等々である。
通常これらが複合している場合が多い。特に麻痺した部分や損傷した神経の支配領域周辺から発生する自発性の異常疼痛は、deaf-ferentation pain(求心路遮断痛)あるいは neuropathic pain(ニューロパシー痛、神経因性疼痛)と呼ばれる。この痛みは、神経の傷害ないし機能障害によって、末梢から脊髄後根を通って脊髄に入り、脊髄を上行して、脳の主要な中継センターである視床を経て体性感覚を知覚する大脳皮質へと感覚刺激が伝達されていく神経伝達体系に器質的な異常が生じたために発生すると考えられている。中枢神経損傷に起因するものを特に「中枢性ニューロパシー痛」と言う(以下、「ニューロパシー痛」と呼ぶ)。
このニューロパシー痛は脊髄の損傷のされ方によって、部分的な痛み(片方の脚部だけ、背中だけ、胸から腕にかけてだけ等々)として現れる場合と、全身性の痛み(胸髄損傷で背腹部から両足つま先まで全部、頚髄損傷で肩胛骨周辺から両足つま先まで全部、等々)になる場合がある。これらの痛みには突発的、間欠的に発生するケース、何らかの刺激や衝撃を受けた時発生するケース、恒常的に続く慢性痛(じっとしていても常に痛い)とがある。なかでも慢性痛が多い。いずれの場合もしびれを伴っていて、けいれん、硬直、拘縮によって痛みが発生、増悪することが多い。とにかく、リハビリもままならないのである。
このような脊髄損傷に伴う痛みには、通常痛み止めとして使われる非ステロイド系抗炎症剤−NSAIDs(アセトアミノフェン系、アスピリン系、その他ジクロフェナク系等々)はほとんど効かない。オピオイド(モルヒネ様作用を持つ天然及び合成の薬剤)も単独ではほとんど効かない(オピオイドについては近年新たな展開も見える−−後述)。難治性と言われるのはそのためでもある。筋肉痛的・関節痛的痛み、突発性の痛みの場合は、温湿布・冷湿布・アイシング・鍼・温灸・マッサージ等、あるいは安定剤服用、カプサイシン軟膏塗布等、その他何らかの理学療法的対処が疼痛緩和に有効な場合もある。
手に負えないのが慢性的な厳しいニューロパシー痛である。特にアロディニア(正常な場合、痛みを感じないはずの刺激によって感ずる痛み)と感覚過敏を伴うニューロパシー痛は実にやっかいである。このような痛みは外傷性不全複雑脊損と非外傷性(脊髄腫瘍、脊髄炎、脊髄空洞症、放射線障害等による)脊損に多発する傾向がある。また中高年以降の損傷に発生しやすく、年を経るにつれて強まる傾向にあるとも言われる。初期において急性期痛、けいれん時痛、刺激に対しての痛み、突発性の痛みであったものが、慢性的自発痛へと変わっていくこともある。これら一切のことについてそのメカニズムはいまだ十分には解明されていない。
米国ニュージャージー州立ラトガーズ大学のワイズ・ヤング博士(クリストファー・リーブ麻痺財団の諮問委員会のメンバー)は、他の研究者達の研究を引用しつつ、脊髄損傷者のうち、何らかの痛みを抱える者64%、ニューロパシー痛に悩む者55%、激痛性ニューロパシー痛に苦しむ者21%に達すると述べ、脊髄損傷者にとっての痛みの問題の重要性を指摘している。〔別稿参照〕
■痛みの治療の現状 1980年代以降、痛みの発生機序や痛みの治療に関する研究は多面的な発展を見せている。の背景には、癌が人の病死因の4分の1‾3分の1を占めるまでになり、癌患者の疼痛管理が医学的にも一層避けることのできない重要課題になった、という事実がある。しかも多くの癌性疼痛は、癌そのものやその治療手段を原因とするニューロパシー痛と重なりあっている。痛みの研究は、解剖学、生理学、生化学、薬理学、遺伝子研究等、様々な分野からのアプローチが必要な総合医学である。近年の生化学的研究の発展によって、痛みの発生機序、痛みに関する神経伝達メカニズムの解明に新たな前進が見られるという。従来ペイン・コントロール(疼痛管理)と言えば、末期癌のターミナル・ケアを主眼とする傾向が強かったが、近年で は、様々な非癌性の難治性疼痛も対象とする幅広いものとなりつつある。
こうした研究、治験、医療経験にもとづいて、現在、脊髄損傷に起因する難治性疼痛に適用可能とされている治療方法には以下のようなものがある。(治験的適用も含む)
1. 鎮痛補助剤の投与
薬剤の本来の目的とは別に鎮痛効果も有するため使用される。一般に治療の第一選択肢とされている。主として中枢性神経伝達物質の作動に関与したり、神経細胞膜の異常興奮を抑える膜安定化作用を果たすことによって痛みを緩和する。( )内は薬品名の例。
(1) 三環系抗うつ剤
アミトリプチリン(トリプタノール)、イミプラミン(トフラニール)、クロミプラミン(アナフラニール)、アモキサピン(アモキサン)等々。
神経伝達物質セロトニンやノルエピネフリン(痛みを抑制する)の量を調節、濃度を高める。
(2) 抗けいれん剤
カルバマゼピン(テグレトール)……膜安定化作用。神経伝達物質ナトリウム(痛みを誘発)の経路遮断。
フェニトイン(アレビアチン) …… 同上
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